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屋形船の由来

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宮人の舟遊び

屋形船のルーツをたどると、その原型は平安時代に見出すことができます。

古くは万葉集にも詠まれていたというのが宮人の「舟遊び」。 これが平安時代には、川や池泉に竜頭鷁首の(龍頭や水鳥などが船首にしつらえられた)船を浮かべ遊覧を楽んだ、という記録が残されています。
桜や紅葉を愛でたり、漢詩や和歌を詠んだり、楽器を奏でたり等々。船の上は、貴人たちが日ごろの素養を披露しつつ、典雅に過ごす場であったようです。

粋で風流な江戸の屋形船

江戸期に入り、泰平が訪れると、豪商や有力大名などが自前の船で盛んに遊覧をするようになります。
船も大型化し、競うように造りも豪華になっていきました。明暦の大火(1657)後に一時、鎮静化しますが、江戸の街が立ち直るとともに以前にも増した盛り上がりを見せ、その造りは絢爛豪華、金銀漆などで装飾をするなど、贅をつくしたものになっていきます。 この時期、屋形船は武家のみが使用でき,一般の庶民は乗船できませんでした。
そこで粋な江戸っ子は、屋根船と称する小船を浮べ遊覧を楽しみ始めました。
屋根船は,舟の上に小さな部屋が一つ乗っているような形で,障子(しょうじ)を用いず簾(すだれ)を使い棹(さお)は使わず櫓(ろ)で舟を操ったそうです。(上部浮世絵で確認が出来ます) やがて、質素な屋形船が新造されたこともあり、大名などが所有する豪華船から、船宿や料理屋が所有し、一般庶民も粋で風流な遊びとして楽しめる現代に通ずる屋形船のスタイルへと継承されていきます。

明治~現代の屋形船

江戸が終わり、維新後も明治・大正・昭和初期にいたるまで、人々に楽しまれてきた屋形船ですが、太平洋戦争のために、また衰退してしまいます。
さらに戦後復興から高度経済成長期に入ると、今度は水質汚染や、殺風景な河川護岸工事がなされた影響から、一時はほとんどの屋形船が鳴りを潜めることになりました。その屋形船が息を吹き返し始めたのは、1980年代のバブルの頃から。「豪華な遊び」として注目されたことに、河川環境が改善されてきたことなどが重なり、やがてエアコン・水洗トイレ・カラオケ完備の、現代型の屋形船が続々と登場するようになりました。